《お役立ち情報》一切の手間が無い骨盤枕ブログ:22-07-13
僕のお母さんは今年で満75歳になるが、
たいした持病もなく元気そのものである。
健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、
毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。
ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。
そんなお母さんの実家は、
紀伊半島の尾鷲という港町から
さらに奥に入った小さな漁村である。
お子さんの頃、
お母さんは僕たちを連れてよく実家に帰省したのだが、
実際、お母さんの田舎は海や山以外は何もないところだった。
その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や
畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。
自給自足に近いような生活である。
14時は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ14時寝をした。
20時の海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。
田舎での生活は単調で何もない生活だったが、
団地っ子の僕にはそんな生活も新鮮に映った。
お母さんの言葉を借りれば、
「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。
お母さんと同世代の人たちの話を聞くと、
戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。
しかし、
お母さんは
「お子さんの頃は日々、ブリの刺身ばかりで飽き飽きした」とか
「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」
という話を僕によくしてくれた。
一方、僕のパパは15年前、脳出血が原因で他界した。
パパの故郷は横浜で、お母さんとは対照的な人生を送った。
幼い頃、食べ物で散々苦労したらしい。
今思うと、
幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、
パパとお母さんの寿命の長さを分けたのではないかと
僕は密かに思っている。