《お役立ち情報》体調の改善も期待出来る骨盤矯正ブログ:21-04-25
私は父母が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でビールに溺れるお父さん、
そのことでお父さんをなじるママ。
そしてその怒りを姉や私にぶつけ、
姉はその怒りを私にぶつけていました。
家には居場所がない…
お子さんの時の私は
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
ママに見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
私は当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
ママは言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
私がみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通のお子さんでしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのないお父さんとママ、姉との確執。
その時の私の望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をウエストにあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
日々のように思っていました。
そしてある時、私は決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そして私は一度だけ父母に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
父母は頭を下げました。
でも、そんな私でも
今は少しづつお父さんもママも姉も
許せていっています。
姉にお子さんが産まれ
実家でお子さんたちと遊ぶようになった時に、
姉から
「ありがとう」と感謝をされたことで
私の中で何かがかわりはじめたんです。